ケーススタディ
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自立について
ハナコ
自立とはどういうことか、それを考えてみたい。
2500年前、仏教の開祖・ゴータマ・ブッダという人がいた。彼は現在のネパールに住んでいたシャカ族のクシャトリア(貴族・武士階級)の出身でシャカ族の王様のあととり息子であったといわれる。当時の哲学・文学・医学・武道・ヨガまでマスターしたいわばスーパーマンであった。
彼は妻子を捨て厳しい修行をしたのであるが、途中道端に倒れ、気を失い、自ら動くことができなかった時、通りがかった村の少女にミルク粥をのませてもらい、息を吹きかえし、さらに牧童にワラをもってきてもらい、それを体の下にしき、あるいは体をおおって回復したといわれている。ブッダは人に助けを求め、助けられて悟りをひらいてから多くの人を助けたと言われている。すなわち、自分にできない時、助けを呼ぶことができ、また助けの必要な人には、おしみなく援助を与えることができた。
病気で倒れ汚物だらけで異臭を放ち、放って置かれた行者がいた。ブッダの弟子たちは誰も近づかなかったが、ブッダは一人そばに行って体を清めてやり、服を着替えさせ、食事をとらせ、その後弟子の一人を介護にあたらせ、アフターケアをしたとの伝説がある。やはりそうだと思う。彼は人に助けられることができ、人を助けることができた真に自立した人だったのである。
ここでアルコール依存症のことを語ろう。
私の父は88歳で亡くなったが、大酒豪で、今から60年前、私の小学生から中学生にかけて、アルコール依存症となり、三度精神科病院に入院し、カトリックの熱心な信者となり、アルコール依存症から立ち直ったのである。カトリックとも協力したプロテスタントの神学者であったラインボルト・ニーバーの有名な言葉がある。
「神よ、変えることの出来るものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。変えることの出来ないものについては。それを受け入れるだけの冷静さを与えたまえ。そして、変えることの出来るものと、出来ないものを、識別できる智慧を与えたまえ」
ここには神との対話がある。しかし、人との対話がない。ひたすら教会に通い、神父や信者と交わり、父は立ち直ったのであるが、アルコホーリクス・アノニマス(AA)がなかった当時至難であったと思う。アメリカのカトリックの神父であったビル・ウィルソンは自らアルコール依存症となり。ボブ博士と共にAAを創設し、幾多のアルコ一ル依存症者を救いに導いたのである。AAではアルコール依存症者自らが、自らの物語を語り、語ることによって、また、他の依存症者の話を聞くことによって、アルコール依存症を克服するのである。医者はアルコール依存症を治すことはできない。AAに導き、AAという場で依存症者たちが助け、助けられて、自分たちでなおっていくのである。
自分の・限界・無力さを知って、人に助けを呼ぶことができ、また、人を助けること(ブッダのように励まし、喜ばせることでもよく、ただ笑顔でそばにいるだけでもよい)ができること、これが自立だと思う。アルコール依存症から立ち直ることができた人は、助け・助けられるという自立を学び、実践することによってそれが可能となるのである。日本にAAを紹介してひろめたのは、アメリカのカトリック神父のミニ神父であった。
30数年前、私は陽和病院でアルコール依存症治療にたずさわり、ミニ神父と山谷の集会室で出会ったころのことを昨日のように今思い出している。アルコール依存症の山谷の住民に囲まれ、おそらくアメリカの田舎のファーマーであろう、朴訥なアメリカ人の老夫婦がミニ神父とともに参加していた。日本語もわからなかったと思うが、一言も話さなかったが、ただ穏やかに座っているだけで、私も、おそらく山谷の酒しかない孤独な住人も希望を感じたのであろう。
三吉譲 「自立について」
月刊わらじ 2013年7月号 19ページに加筆した。
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