ケーススタディ


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自殺した人達

索引




(始めに)

1986年 私が勤務を続けると赤字になるという理由で(それは今の国家政策では事実である)、神奈川県藤沢市にある湘南中央病院の精神科・内科の常勤医をやめさせられた私は、1986年5月JR藤沢駅南口に三吉クリニックを開設。
東京オリンピックの時に藤沢駅南口に初めて建てられた古いビルで、その頃、南口にはこのビルしかなかったという由緒あるビルである。
何としても家賃が他のビルに比べて一番安かった。
一方、湘南中央病院には200名の精神科外来患者がいて、私は週一回、同じ病院で非常勤の精神科医を続けることとなった。

(精神科クリニック設立の理念)
精神科クリニック本来の役目
精神障害を発症したり、又発症しそうな方の

①安全基地であること。避難し一休みできる場所であること。
 このためセルフサービスのお茶・コーヒーコーナーが作ってある。
(お茶・コーヒーは受診者や家族の差し入れでまかなってきた。)

②いつでも来て、休み、ちょっとした相談(立ち寄り相談-無料)にも、じっくりした相談(有料但し美容院より安い)にも、のれること。
 このための相談室。

③必要な診断書、薬がもらえること。
 かぜ薬等は気軽にもらえること。
信頼できる他科の病院を紹介してくれ(私にとって医師会に入会し、活動した事はとてもよかった)、入院が必要なら適した病院を紹介してくれること。

 このために内科の標榜科目もとってある。
なお、内科をとっておいた方が良いとは、設立時に届けを県の窓口に出したところ、県の担当者がアドバイスしてくれ、それには感謝している。
但し民主党政権になってから自民党の小泉が作った自立支援法が厳格に適用されて、身体治療薬は自立支援医療適応外、全て3割負担とされ、合併症の患者の自己負担が高くされてしまって、身体合併症の投薬治療が困難となってしまった。
社会的弱者から、更に金をむしりとる酷い法律である。

④必要な職場や学校、役所との交渉を手伝ってくれる事。

 すなわち、クリニックは上記①~④の機能を備えた小さい港であればよい。
人生という荒海で疲れたり、故障した船が、休み、物資を補給し、時に船ドックに入り、修理する港であればよい。
そして又人生という荒海に出航していくのである。
人間というものは不思議な生き物で、最初は小さな波にも揺れる小舟であっても、幾多の航海を経る中で、ゆっくりと徐々に台風にも荒海にもビクともしない大型の汽船に成長していくのである。
しかし中には、トラウマの打撃から回復せず、いつまでも小舟のままでいたり、中には大型汽船より逆戻りして、小型船に戻っていく船もある。
そして、風雪にもまれて、沈没していく船もいる。

 19世紀になって統合失調症が大発生した。

 「1700年代にも分裂病と疑われる例が認められますが、その数はきわめてわずかです。ところが19世紀への変わり目から分裂病は、急にはっきりと現れます。・・・・その後19世紀を通じてほとばしり出るかのように分裂病の記録が続出しました。この間、分裂病は明らかに増加しています。これはこの病気の劇的な登場といえます。」
E・フラー・トリー 日本評論社 1997年(分裂病とは統合失調症の旧病名)

 19世紀以降精神科病院という船の墓場が先進国を中心に大量に作られてきた。

 日本では単科精神科特例が施行された昭和26年(1951年)以降である。
幸いにもその墓場に入ることを免れたり、脱出し生還できた船は人生という荒海を抜け、おだやかな凪の時を過ごす事ができる。

 私のクリニックは、このような小さな港の役目を持ちたいと願い、再出発する際の社会の窓であり社会的資源ともなる医師会や作業所、デイ・ケア、ボランティアグループのかかわり合いを積極的に求め、かかわってきた。
週4日は三吉クリニックで働き、1日は湘南中央病院で、あと1日は上秦野病院で診療を続け、週6日朝から晩まで働き通した。
私は当時43才。体力も気力も十分にあり、それなりの診療経験をつんでおり、精神科診療でも、こわいものなしであった。
「来る者は拒まず、去る者は追わず」をモットーにし、覚醒剤中毒やアルコール依存症以外は全てを断らず診療した。
(それらを除外したのはそれに適した治療構造を持っていないからである。)
軽症のうつ病患者で休息入院を要するものは湘南中央病院に内科医に協力をたのんで入院させ、重症の患者は上秦野病院に入院させて、共に私が診察し、それぞれの病院の外来も合わせて2つの病院をフルに活用した。

 貧者の楽園といわれた上秦野病院は、治療成績はとても高く、かつ薬も驚くほど少なかった。
但し後に良心的経営のため赤字となり、東京の料亭経営者に売られ、息子が院長となり、患者の可愛がっていた猫を病棟にてパチンコで打って興じるという子供じみた事を平気でするとんでもない医師であった。
残った職員は辞めていったり、次々に解雇されていった。

 私も或る日突然即日解雇され、患者に別れを告げる間もなかった。
少数の者が嘆きながら解雇撤回闘争をしぶとく闘い、遂に解雇撤回闘争に勝利して、そのあと福井記念病院に売却され、再建されてミクルベ病院と名前を変えた病院に戻っていった。
この間入院患者は次々に死亡していったと、戻った看護師が証言している。

 さて、三吉クリニックでは、初診は1月で30名にも上って、患者数はうなぎ上りに増え、1年もたたないで借金を返済し、更に念願の相談室と患者談話室、図書コーナーを増設できたのである。
スタッフは私の他に、前上秦野病院ボランティアの若輩の広瀬ケースワーカー(今はベテランとなった)と、ベテランの受付兼看護師一人、あと湘南中央病院でパート医をしていた薗部医師が週半日勤務してくれた。当時の藤沢市の精神科クリニックは私の他に2つしかなく、クリニックの増加に伴って私は藤沢市医師会に精神科医会を湘南メンタルクリニック長谷川先生らと共につくり、今は森田療法の高岸先生につづいて、3代目の山崎会長となり、活発な活動を続けている。現在、精神科医会加盟の精神科クリニックは藤沢市で19ヶ所となった。

 私は、精神障害は社会過程の変革なしに、市中でなおせるという信念と妄想を持っていたと、今にして思う。
現代精神医学では、統計的知見として、うつ病等の気分障害、統合失調症圏は3人に1人は難治とされている。
どんなに頑張ってもそういった人達がとことんたまり、遂に脱落し、時に自殺していったのである。
脱落していった人達は、十数年~20年たって又再受診して、年金障害者用の初診時証明や障害年金診断書をもらいにくる。
大部分は病状固定して生活費を稼ぐ手段もなく、両親が高齢化してやむなく障害年金をもらいにくるのである。
しかし、中には自然治癒していて、社会的回復に至っているか、正職には届かず、パートでは自立生活困難のため、障害年金をもらいにくる人もいる。
私はもちろん喜んで協力している。

 10年もたたないうちに、受診者が待合室にあふれる状態となって、私も受付兼看護師も、ケースワーカーも多忙をきわめ、上記①②③④が困難となってきた。
日本の精神医療状況では(精神科外来は内科外来の1/3の保険料金)まともに精神科クリニックを続けると過重労働が立ちいかなくなり、初診予約は某クリニックでも1年先2年先になってしまう。
これが医者のやることか。自己満足ではないか。医療は人助け。私は納得できない。
そういう中で、私のところに転院したいという患者が関東一円より押し寄せてくるようになったのは必然であった。
こういう中で、薬物偏重のいかがわしいクリニックが増えていくのである。

 同じころ、埼玉で開業した私の大学後輩のK医師は、実直で丁寧な性格で信望あつい人物であるが、忙しすぎて「何が何だかわからなくなる」と私に電話で話して私も痛く共感した。
私もしばしば疲れきり、何が何だかわからなくなって、1日の診療を終えた経験があるからである。
私より確実に実直で丁寧な彼にとっては辛かったろう。
医師は面倒くさくなると良い仕事ができないといわれるが、その通りの事が起きたのである。
1日中診療して夜になると疲れきり、モーローとして患者の声も聞きたくなくなり、顔もみたくなくなる。
これでは、治療が行き詰まったときなら配慮する事ができなくなり、2/3の患者は何とかなるが、残り1/3の患者は取りのこされ、医療の質が低下する。
様々な事故・脱落が相次ぎ、防げる自殺も見逃されることが出てきたのである。

 更に、2000年代の困った現象として薬物偏重港が増して、不良港が発生し、荒っぽい修理をされて傾き人生航路再出航不能となったり、中には多種大量投薬で沈没寸前の船まで多発してきた。
今の国家政策の中で、悪い不良な港が増えてきたのである。重量超過した薬物の重みをとり去るためには、更に時間と手数をかけねばならない。そこをあせると、禁断症状がでて脳が爆発状態となり、更に恐ろしい精神科病院が待っていて、更なる大量投薬、果ては電気ショックが待っているのである。

 こういった人達が助けを求めて初発の人々と共に私のクリニックに来たのである。
一日数十人の診察が何年も続くようになった。
私のあとに開業した大学同期生の友人が、大腸癌となり休診し、急きょ何人かの仲間と応援にかけつけた。毎週ない時間をしぼり出しての応援診察をし、きびしい状況下で、遂に私も1998年うつ病を発症し、身体的にも気管支喘息になってしまった。早め早めの診療時間短縮と、ずっと続けてきた山登りと、禁煙がよかったのであろう。うつ病は完治し、気管支喘息はよくなるも呼吸器系の弱点として残っていて、かぜをひいた時、その后も喘息等の症状がでるようになった。

 こういう中で、クリニック本来の役目をややもすると見失っていく状態となった。
1986年三吉クリニック開設にあたっての基本設計が間違っていたのである。
外来は1日半日だけ行い、あとの半日は市中に出ての往診や、多職種ミーティング、必要により緊急診療や自費診療にふりむけるべきであった。今はこういった活動を時間外に行なっているが非常に有効である。
「来るものは拒まず、去る者は追わず」で覚醒剤中毒者、アルコール依存者を除いてあらゆる人を体力にまかせ、保険診療で受け入れると、早晩パンクし、破綻するのは必至だったのである。
それが、私が病気になった1998年であった。

 患者数は変わらないまま、以后私は70才の現在に至るまで、診療受付時間を14年かけて徐々に以前の1/2に短縮し、30分5人の枠を作って週2日は午前30人、午後20人の50人。週2日は半日で30人の最大枠とした。
当時、厚労省は5分ルールという通達を出し、初診を除き、何科を問わず全ての外来保険診療は1人5分以上を必要条件とした。
私がいつも紹介する名医と評判の皮フ科医院は、患者数が多く、1人2、3分でみていたのであるが、保険請求ができなくなり、大打撃を食ったと本人が話した。この5分ルールは後に撤回されたが、精神科を含めて5分でよいというのは法の精神であろう。
一律5分ルールは質の悪いクリニックも評判のよいクリニックも一律にあるから悪法であった。

 私は以下のように工夫をした。
回復して薬物療法だけでよい患者には雑談を控え(実はこれが治療的には有効なのだが)、2~3分で終了し、残りの余った時間を手数のいる患者に振りむけるようにした。
1日50人のうち8割が安定期に入っていて、2割が未だの人とすると、40人×3分=120分を、残り10人に振りむけると、6分+120÷10=18分。すなわち1人18分は使える計算となる。
とにかくこういった事をやると疲れ切って余裕がなくなる。
ここまでしても、「先生の所は診療時間が短いから(治らないので)転院したい」といわれると、つらい。

 私は今はこういった診察は保険行政で強いられたもので、私には合わないと思っている。
そして70才になると1日30名が限界で50名はきつい。今は遠方よりの転院しての初診は断ることにしている。
幸い治療終了者が2009年以降10名台となり、2010年以降は毎年10数名でていて、20名に近い年もある。
月実数620名が520名に減ってきて、始めて最近余裕が出てきた。寛解期に入り症状がとれても回復期にはまだ遠い。
そんな人には、本人が嫌がらない限り、楽しんでいる事について、話をきくようにしている。
そういう中で、折にふれて生活習慣を聞いたり、基本的な考え方を聞いて、時に議論する。
特に男性、パソコンと専門知識だけは突出しているが、他は無知な人が多いのに驚かされる。
そんなことをやっているといつのまにか回復期を終了する人がでてくる。
その人達には、廃薬して治療を終了すべきか、再発予防のため、治療継続するかの次の目標があるのである。どんな人にも雑談は欠かせない。

 さきほどのパソコン専門バカといってよい人達(原子力村の人達がその典型)は簡単に会社や行政組織という、盲目的な資本や国家の意志にのみこまれ易い。
そしてうつ病を発症してしまう。私はそういう人達に理論武装をして自分を守る事をすすめている。再発予防に議論は欠かせないのである。
そのためにも、私は「ケーススタディ」のこのホームページを立ち上げたのである。

 こういった限界状況を過ごす中で、診療の指針を求めて横文字を読みまくっていた時期を卒業した。
今は横文字の必要を感じていない。かつて、精神科領域の洋雑誌を何誌もとって、年数十万円使っていたが、今は1誌にしぼり、年数万円としている。
その分、和書を置いている。医学書よりも、家族関係や社会学等あらゆる物を求めている。
私は60代後半にして、技術者の症例にあるように、医師として開眼したと思っている。それが治療終了者の増加として結果が出ているようだ。

 若い医師にいいたい。日本語の医学書は読まなくてよいから、横文字を徹底的に読みなさい。日本の精神医学はガラパゴス諸島で一世紀以上遅れている。横文字が苦手な人は、四国松山の笠先生のように、パソコンや和製医学書は読まないで、ひたすら患者に学びなさい。
私は自分の経験でこれをお勧めする。

 さて、日本の社会構造は、学校でも、職場でも、時に小暴君が支配する家庭の中でも、常時間断なく精神障害を作り出している。
いったん作り出されると、知恵と努力とまわりの人間の協力も得て、切り抜けていかない限り、排除の方向に社会過程が始まり、精神科病院を軸として毎年5万人の社会より排除されたまま墓場までの長期精神科病院入院者の1人となり、又は毎年3万人の自殺者の中に入るのである。

 一方、人口40万人にも及ぶ神奈川県藤沢市は、未だに障害・福祉担当職員も、全国公募した福祉専門職でなく、昔ながらの地縁血縁の職員であり、適当に部門移動しては福祉課の職員になっている。
一部には熱心なよい職員もいるが、障害者いじめをやっているとしか思えない職員もいる。
見分け方は、よい職員は率先して私の所に相談にくるが、質の悪い職員は、相談を呼びかけても、何やかやと理由をつけて、決して来ないのである。

 隣の茅ヶ崎市は、社会資源の乏しい市であるが、福祉担当職員を全国公募とした。福祉課の職員の士気と質が全然ちがう。旧社会党系の葉山市政は、スポーツ振興は積極的にしたが、精神障害者には実に冷たかった。精神障害者は旧社会党にとって忘れられた存在だったのである。

 藤沢市民病院の精神科は常勤医が2人いて、精神科医長の長崎先生は、市民病院に他科との混合病床として、精神科病床を何床か確保して奮闘され、地域にも精神科医会初代会長に貢献された。
長崎先生が、退職して長崎クリニックを開設され、若手精神科医に引きつがれたあと、自民党の市長時代に、当時の助役が、NICU(新生児救急病棟)創設のため、財源がないと、精神科常勤医を1名カットして、500床の総合病院に精神科医1名としたのである。

 時代の要請としてNICUを作るのは正しい。
財源はスポーツ施設ばかりを作っている藤沢市の財源をちょっと変更するだけで出せる。
民間のスポーツジムと競合してまで、あちこちの公共施設にトレーニングマシンを設置することはない。
社会的弱者の精神障害者より財源をひねりだすとは本当に許せないと思っている。
こういった方針に自民党のみならず、公明党も民主党も協力しているが、これは日本全国共通の状況である。
これには長崎先生の出身校である横浜市大精神科も怒り、精神科医を引きあげた。
そこで、北里大学より2人の精神科医が来たが、使いものにならず、悪評ひんぱんでパニック状態となりついに北里大学も撤退し、今は横浜市大より2名の精神科医が来ている。

 こういった中で、長崎先生が半生を通じて作り上げてきた実績を解体してしまい、今の市民病院の精神科医は精神科医会にも参加せず、地域医療に貢献できていない。
こういった事は日本共通に起きていて、長崎先生と同期の小田原市立病院の1人精神科医も遂にやめ、精神科無しとなったのである。
2000年代に入り、藤沢市民病院に第3次救急医療センターがつくられた。
それは喜ばしい事であるが、精神科だけは除外されている。
わずか2名の精神科医ではどうしようもできないのはわかる。
但し、救急車の半分といわれる精神障害を持った人は、身体治療なり受けて、あとは精神科病院に直接まわされるか、私達のクリニックにまわされてくるのである。何でスポーツ財源を削って、精神科医を4名にし、救急医療に参加しないのか。
人の命と心が最も大切だといってきたのはいったい誰なのか、口先三寸の魂を失った人間が本当に増えている。
市民の税金を使っているのだから精神科もチャンと診ろといってきたが、26年間全く変わらない。

 精神科だけを差別してきたのである。
これは日本全国共通の状況である。
大学病院をみても東海大本院の精神科病棟廃止、分院の大磯病院精神科の廃止
(東海大精神科はこの地域にとって頼りになる存在であっただけ残念である)
昭和大学精神科病棟の廃止、小田原市立病院精神科の廃止、済生会横浜南共済病院の精神科廃止、横浜労災病院心療内科のベッド数縮小(20床→10床)と私の近くでも次々に総合病院精神科は廃止されている。
遠くは日赤旭川赤十字病院の精神科も廃止された。湘南では平塚市民病院、茅ヶ崎市立病院の精神科は未だに無い。
この10年間で、総合病院の精神科は日本全体で5000床廃止されてしまった。

 一方、驚くべきことに、こういった事実を市民や患者や家族は全くといっていいほど知っていない。
精神科特例という法律も知らなければ、私を始め、総合病院のベッドを持つ精神科が赤字になるためつぶされているという事実さえ知らない。

 他方で、精神医療に対する根拠のない幻想をもっている。
薬でなおるという製薬会社の宣伝に洗脳された精神科医(私は精神壊=セイシンカイと呼ぶ)を簡単に信じて薬漬けにされ、あげくの果ては、薬物中毒となって自殺や家庭崩壊に追いこまれ、遂には、精神科病院で墓場まで過ごすことになる。
何と不幸なことか。
日本人は戦前と同じように国家に対する、現代精神医学に対する根深い幻想を持っている。
これは「原子力の平和利用」を信じてきた手塚治虫を始めとする国家妄想と全く同じである。
社会が生みだした精神障害者を、社会は否認し、未だに市民としての人格を与えられない。
忘れられた存在なのである。
口先だけは5大疾病といいながら、基本システムを変えようとせず、金も出さない。
いかに物があふれ、身体科の設備が先進国トップレベルでも、日本は先進国とはいえない。

 神奈川県では、私は県立女性センターの精神科嘱託医をしている。
そこでは精神障害が発症する以前での、追いこまれていく状況下での女性達の相談にあたってきた。
相談課の相談担当女性職員が、予め分担して丁ねいに相談を受けたあと、私と一緒に1人45分の枠内で相談にのったあと、その後は職員が又フォローしていくのである。
企業に魂を売りわたしたような男性社員がヒゲを生やしているが、内面はガキのままで、パソコンと金計算しか頭になく、家庭で小暴君となって妻子にDV(ドメスティックバイオレンス、家庭内暴力)を働く例が多い。
女性スタッフは丁ねいに相談にのり、相談に来る人達に心から共感し、サポートしている。
私はこのようなスタッフを知り、ここに神奈川県の良心があると感じていた。ただし、2年後の2015年には女性センターの建物、敷地とも売却されることが決まってしまった。

 うつ病治療では旧来の精神科病院ではみられなかった新しい治療法が模索されている。
パイオニアは福井記念病院のストレスケア病棟であった。
差額ベッドを基本として、陶芸や絵画等様々なレクリエーションを提供しており、私は湘南中央病院ではみきれない人を、このストレスケア病棟に紹介してきた。
しかし、自己負担が大きいこと、メニューが少ないこと、すぐれた医師もいるが、薬偏重から脱しきれない遅れた医師もいて、入院させても薬づけで帰ってくる患者がいたりして当たり外れが大きい。
精神科特例下での私立精神科病院の限界がそこにあるのであろう。

 こういう中で、2000年代に入って初めて神奈川県立芹香病院にストレスケア病棟が作られた。
対象は、うつ病患者が中心であるが、全室個室で無用な患者間のトラブルをなくし、入浴も毎日可で、生活の質も高くしてある。
何よりメニューが豊富で、集団認知行動療法や光療法、鍼灸も取り入れている。
そして患者の自己負担が少ない。私も紹介しているが、私立に比べて公立の方がレベルが高いと思う。
ここにも神奈川県の良心と希望がある。潰さず発展させてもらいたい。

 願わくは精神科特例が廃止され、他の私立病院も施行可能なように、国家、地方行政当局が財政的裏付けをすること。
更に気分障害以外の統合失調症圏や他の精神疾患にも、薬を飲んで寝て、つまらない作業に狩りたてるのではない、楽しみながら学べて患者も職員もお互いが成長できるようなメニュー豊かな生活レベルの高い病院を作ってもらいたい。
それは私の提言のように総合病院に作るのが1番よいのである。

 神奈川県では戦後女性センターに継続されてきた良い流れは絶たれようとしている。一方ストレスケア病棟には年間3万人の自殺者に対するチャレンジが試みられている。
しかし、日本全国の流れは前述した通りである。日本は未だに後進国なのである。
この社会体制の下では、ひとつのクリニックがどんなに頑張っても、自殺も脱落も防ぐのは困難である。
その事実をそのまま、ありのままで認識しよう。


私は日本国家の末端で、三吉クリニックも同じで、自殺者を出しつづけてきた。
私はここで自殺についての三吉クリニックの26年間の事実を公表する。

勿論プライバシー保護を重視し、本質を妨げない形で、省略等を行なっている。
なぜなら患者も家族も国民全体がこの事実を知らなければならない。
この事実をあるがままに認識して、始めて、患者も家族も未だ健康な市民も自分達を守るためには何をしなければならないか、何をしてはならないかを知ることができる。
 スタッフも大きな教訓と日本再生の鍵をそこにみつけるはずである。
患者のデータの中でこそ、我々は学ぶことができる。

 自殺について―前提となる医学事実
I. 自殺者の9割が精神障害をかかえていたこと。
II. 60%近くが生前に自殺念慮を伝えていたこと。
III. 50%が自殺の1ヶ月前に医師にかかっていたこと。
(アメリカ、ロビンスの研究、「人はなぜ自殺するのか」張賢徳P38~P39)
日本でもほぼ同じデータが確認されている。(同上P117~P121)

 戦前、明治天皇がなくなり乃木大将が切腹自殺した。
ベトナム戦争反対闘争の時代に、米大使館の前で一老人(仏教僧ティック.クアン.ドック)が焼身自殺を行った。
チベット仏教徒に対する中国の高圧的な政策に対して抗議するため多数のチベット仏教徒が未だに自殺を続けている。
しかし、保険金を得るために自殺とわからないように事故死を装った場合もある。こういう理性的或いは打算的な自殺は1割しかないのである。9割は精神障害を持ってる者の自殺である。

2、日本の自殺



  図1にあるように(精神保険指定医講習会テキスト P59)
日本の自殺者数は1998年より年間3万台を2011年まで連続14年間継続している。



これはロシアに次ぎ世界第2位である。(図2)
ロシアは非民主的で経済的にも後進国なので、先進国では日本が第1位である。



図3にあるように、自殺者の90%に精神障害が、その半数にうつ病がある。
張賢徳氏は前掲書P119に第1位はうつ病約で約50%といっている。

3、うつ病とうつ状態
  ここで、うつ病とうつ状態の違いをふまえておく必要がある。
うつ病は憂鬱感、自責感を中心とする抑うつ状態と無気力、決断力低下や実行力低下を中心とする抑制が基本2大症状で、抑うつ中心のものと抑制中心のもの、更にはその両者をそなえるものがある。
うつ病の診断基準は、張賢徳氏訳の「精神科自殺マニュアル」 メディカル・サイエンス・インターナショナル(MEDSI) P171~P181に詳しく丁寧に解説されている。
関心のある方には、一読をおすすめする。

  但し、原疾患がうつ病でなくても、他の精神障害は、高率にうつ状態合併するのである。
統合失調症にうつ状態を合併すると、自殺の危険性は、うつ病よりも高くなる。
同じく、アルコール依存性の薬物中毒にうつ状態を合併すると同じく高く危険である。
神経性、特に解離性障害にうつ状態を合併すると、自殺の危険性がでてくる。
愛着障害や発達障害にもうつ状態は必発する。認知症にも合併する。
うつ病でなくてもどんな精神障害でもうつ状態が合併すると自殺の危険が高くなる。
私は残念ながら、殆どあらゆるタイプの自殺を経験してしまった。
以下の症例報告で、それにふれることになる。


Ⅰ、三吉クリニック通院中自殺者及び身体疾患死亡者

 私のクリニックでは、全てのカルテが保存されている。
この26年間の(1986年5月~2012年4月)の、死亡例をまとめた。
まず、最初に身体疾患による死亡例をまとめた。


身体疾患死亡例 51例
  女性死亡例 19例   男性死亡例 32例
 平均死亡年令 67.8才  平均死亡年令 61.7才
① 25才 重症気管支喘息発作 内科病棟で ① 25才 トラック横転し下じき 仕事中
② 34才 窒息死 焼肉屋で家族と食事中 ② 27才 線路への転落死(自殺は否定された)
③ 50才 ガン ③ 32才 肺炎 精神科病院入院中
④ 53才 ガン ④ 38才 心不全 精神科病院入院中
⑤ 57才 肝硬変 ⑤ 41才 心筋梗塞
⑥ 57才 ガン ⑥ 42才 熱中症
⑦ 61才 心筋梗塞 ⑦ 46才 熱中症
⑧ 65才 クモ膜下出血 ⑧ 48才 心不全
⑨ 66才 ガン ⑨ 48才 不明
⑩ 71才 衰弱死 病院内科で ⑩ 51才 ガン
⑪ 73才 ガン ⑪ 53才 不明 精神科病院入院中
⑫ 77才 食物誤飲 ⑫ 56才 糖尿病による腎不全
⑬ 80才 脳内出血 ⑬ 57才 ガン
⑭ 82才 老衰 ⑭ 61才 階段より転倒骨折後入院中
⑮ 82才 老衰 ⑮ 61才 ガン
⑯ 87才 老衰 ⑯ 62才 ガン
⑰ 88才 ガン ⑰ 63才 心筋梗塞
⑱ 88才 老衰 ⑱ 63才 ガン
⑲ 90才 老衰 ⑲ 63才 肺炎
⑳ 65才 入浴中死亡
㉑ 67才 心筋梗塞
㉒ 69才 発熱、下痢、嘔吐
㉓ 76才 ガン
㉔ 76才 慢性腎炎
㉕ 79才 肺炎
㉖ 79才 誤飲
㉗ 79才 心不全
㉘ 81才 パーキンソン病、老衰
㉙ 82才 老衰
㉚ 83才 老衰
㉛ 85才 肺炎
㉜ 102才 老衰


考察
 老衰して、家族に見守られ天寿を全うしたと考えられる80代が少ない。
83例中、女性7名男性5名の12名、14%である。
ガンの発見が手遅れであったり、救命可能な心疾患の早期発見率が低い。
身体ケアが不十分で、精神障害者に対する身体ケアがおろそかにされているのである。

 一方、男性では精神科病院入院中死亡が、30代2名、50代1名にのぼる。
うち30代2名では、家族の証言により、多種大量薬物投与がなされていた実態がある。

 又、単身生活者の40代男性2名が、猛暑の夏に熱中症で死後、自室でみつかっている。
これも薬物の影響あっての熱中症が発生するも、単身生活者のため救命できなかったという背景がある。
この2名は三吉クリニック通院者で、単身生活の困難さがある。
本人に熱中症の症状が出たらすぐに救急車や友人を呼ぶという患者教育の不十分さがあると自戒している。

 以上51名をみると、私の提言のように、精神障害を持った人の入院治療は、単科精神科病院でなく、総合病院精神科でなすべきことが明白である。
市民の精神障害に対する差別・偏見を無くすだけでなく、現実にも、身体治療が必須なのである。

 私は開業以来、藤沢市医師会に入会し、医師会理事にもなって、他科の先生方との交流を熱心に行なってきた。
精神科医は、身体科の先生方との協力なしには実効を上げられないというのが、私の信念である。
その信念の正しさを示したデータであると考えている。

Ⅱ、他院転院後自殺者

 次に三吉クリニックをかつて受診したが、その後転院して自殺した人を考察する。

 私が把握しているのは男性6名、女性7名の計13名である。
実際はもっと多数であったと考えられる。

 この13名のうち10名は本人・家族が転院を希望し、私が紹介状を書いた人達である。
主治医・或いは家族より報告がきている。

 残り3名は三吉クリニックで回復し、治療終了ないし中断して、その後何年も経って、私に知らせがあった方である。
一人は主婦の友人、一人は無職男性の友人、一人は知的障害者の元福祉職員からである。

 いずれも、三吉クリニック受診者からの情報である。
すなわち転院して治療終了し、その後再発して、他精神科に受診した人達は、自殺しても、その主治医や家族からは決して報告はこないのである。


Ⅲ、三吉クリニック通院者の自殺
一番このこの作業は私にとってつらい事であったが、70才になり遂に私もこの作業を始めたのである。


三吉クリニック通院中に自殺した人達―女性 12名

年令 病名 死亡年 周囲の協力 自殺方法 助けられたか 原因
① 37才 抑うつ不安障害 1986 夫 ○ 出血死 三吉クリニックのチームワーク不足(看護師との)
② 69才 双極障害2型 1989 夫 ×
嫁 △
鉄道飛び込み 家族介入不十分、夫が本人の借金を責め死に追いやる。
夫と引き離し入院させるべきであった。
③ 51才 大うつ病 1991 夫 ○
姉 ○
不明 抗うつ剤の治療不十分
④ 47才 大うつ病 1991 夫 ○
友 ○
大量服薬 抗うつ剤の治療不十分
⑤ 24才 大うつ病 1993 母 △ 飛び降り 母の教育不十分+職場への過剰適応
本人が母に「死にたい」と言って、母が「死んだら」と答えたら、反射的に屋上より飛び降りた。
⑥ 29才 大うつ病
(精神病症状を伴う)
1996 夫 ○
母 ○
鉄道飛び込み 入院時期の判定ミス。
⑦ 56才 統合失調症 1998 夫 ○
父 ×
入水 父の治療妨害に対して、夫と共に守る対策不十分。
⑧ 44才 妄想性障害+
頻回の自殺企図
2000 母 ○ 飛び降り 妄想(強い思い込み)を持って断固行動するタイプ。
結婚にかけ、失敗して自殺。
⑨ 33才 うつ病 2004 夫 ○ 大量飲酒+服薬 抗うつ剤の治療不十分
⑩ 25才 うつ病
発達障害
2006 父母 ○ 服毒 高1より自殺企図のくり返し。
発達障害の認識が当時なかった。
⑪ 62才 大うつ病 2007 夫  ×
息子 ○
娘  ○
姉  ○
縊死 再発時に夫(冷い)を協力者に選ばず、他の家族の協力を仰ぐべきであった。
⑫ 72才 双極性障害 2011 息子 ○ 縊死 有料老人ホーム入所にあたってのケースワーカーと家族のケア不足


今なら助けられた人7名
助けられた可能性のある人3名
今でもわからない人2名


三吉クリニック通院中に自殺した人達―男性18名

年令 病名 死亡年 周囲の協力 自殺方法 助けられたか 原因
①30才 うつ病
発達障害
1987 父母 ○ 飛び降り 当時、発達障害の診断なし
抗うつ剤の治療不十分
②39才 双極1型障害 1988 妻 ○
母 ○
縊死 抗うつ剤の治療不十分
リチウムの量少なすぎ
③49才 アルコール依存症
アルコール性幻覚症
うつ状態
1988 妻 ○
縊死 うつ状態の治療不十分であったか?
④35才 大うつ病 1989 妻 ○
兄 ○
縊死 本人の転職希望の相談にのれなかった
抗うつ剤の治療不十分
⑤66才 双極1型障害 1989 妻 ○ 縊死 抗うつ剤の治療、休息の指示不十分

⑥36才 大うつ病 1991 妻 ? 飛び降り 家族の協力体制作りできていなかった
(本人が妻の来院相談を阻止していた)
⑦77才 大うつ病 1992 (-) 縊死 単身生活者で、遺書よりずっと以前から
自殺の覚悟していたのがわかった。
⑧34才 大うつ病 1994 母  ○
上司 ○
縊死 抗うつ剤の使い方と休息のとり方不十分
⑨57才 敏感関係妄想
うつ状態
1992 不明 縊死 うつ状態の治療不十分
家族や友人への治療協力要請していない
⑩31才 双極2型障害 1994 母 ○ 酒と大量服薬 自殺用に他院を受診し薬をためこんでいた
⑪30才 不登校→うつ状態 1996 母 ○
他 ○
大量服薬 電気ショック療法うけていて粘りなしになっていた。
⑫21才 うつ病
適応障害
1997 母 ○ 縊死 うつ病の治療不十分
⑬34才 大うつ病 1999 妻・兄 ○ 縊死 抗うつ剤は十分につかうも不安定。入院の必要があった方
⑭35才 双極2型障害
適応障害
1999 友人多し
但し徐々に1人に
縊死 日本社会に対する深い絶望あり
⑮35才 双極2型障害 2003 母 ○ 飛び降り 抗うつ剤治療不十分
リチウム未治療
友人なし
⑯44才 統合失調症 2005 母 ○ 飛び降り 慢性の幻覚妄想状態
家族の中で妹たちとのトラブルが続き、遂に自殺
⑰28才 うつ病
糖尿病
2006 父母 ○ 縊死 糖尿病合併を苦にしての自殺
⑱21才 アスペルガー症候群
うつ状態
2008 母 ○ 飛び降り 発達障害の青年との向き合い方不十分
母はこのショックより未だ立ち直れていない


今なら助けられた人 9名
助けられる可能性あった人 4名
今でも分からない人 5名

  男女合わせて
今なら助けられた人 16名
助けられる可能性あった人 7名
今でも分からない人 7名

  50%は今でも助けられたと私は考えている。
最終的に自殺に至った人はいると考えられるが、少なくともその段階では確実に16名は助けられたと私は考える。


考察 年序別にみる三吉クリニックの通院者の自殺者数

1986年 1名
1987年 1名
1988年 3名
1989年 3名
1990年 0名
1991年 3名
1992年 1名
1993年 1名
1994年 3名
1995年 0名
1996年 2名
1997年 1名
1998年 1名
1999年 2名
2000年 1名
2001年 0名
2002年 0名
2003年 1名
2004年 1名
2005年 1名
2006年 2名
2007年 1名
2008年 1名
2009年 0名
2010年 0名
2011年 1名

私が病気となったのは1998年であるが、その10年前より自殺者数3名を超した年が4年ある。
1998年以後全国の自殺者が急増し、年間の自殺者数、3万人が14年間連続したその影響は私のクリニックには出ていない。
受診者では私及びケースワーカー等スタッフの経験が全例ではないとしても自殺を防いでいるとは言えるであろう。
自殺者より選んで、女性3名、男性8名の症例検討を行う予定であった。

カルテをみていると、死者の声が聞こえてきた。
なぜ私は検討はされず、忘れ去られていくのか、と。

それで私は全例を検討することにした。
これは時間がかかるが、どうしてもやらなければならない作業である。
そしてこれは、自殺を試みながらも、生き残り、立ち直って来た人達の次の報告につながるからである。

そして最後に2012年8月に自殺した独身男性の例をあげたい。
身体合併症に苦しみながら、藤沢市の福祉課や藤沢市民病院等に諸々にサインを送り、死に至るまであがいたが、どこも有効な手を差しのべることができず、遂に自殺に至った症例である。

自殺を防ぐには、身体合併症の適切なケアが必須で、それを欠いているのが、今の日本の状況であることを死者は訴えている。













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