ケーススタディ
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私の経歴
野生猫 ブチ。
1942年 山口県下関市に生まれる。
1961年 広島大学付属高等学校卒業
1962年 東京大学理科3類入学
1964年 東京大学医学部進学後、医学連でインターン制度廃止闘争に参加。
1968年~1969年 東大闘争に参加。
1970年 東大精神科医師連合に加盟し、東大精神科病棟(赤レンガ)で研修。
内科臨床4年(東京大学医学部第3内科、諏訪中央病院、湘南中央病院)
精神科病院勤務12年(富士病院、陽和病院、神奈川上秦野病院)
この間、陽和病院では先頭に立って閉鎖病棟の鉄格子を切り、開放化を行った。
その中で退院先のなくなった長期入院者を積極的に退院させ、後に来た別の院長が「先生のお陰で病院が赤字になった」とクレームをつけてきたが、ふざけるのではないと相手にしなかった。
私の原点はこの陽和病院時代にあると思う。
スタッフが未熟な私に全面協力してくれた。
1970年代の時代の熱気がそこにあったと思うが、
限界は近代精神医学に幻想を持ち、悪い精神科病院を良い精神科病院に変える運動で、精神科病院そのものを廃絶しなければならないというところまで行っていなかった。
1982年 神奈川県藤沢市の湘南中央病院に就職
内科医精神科医として診療を始め、精神科外来患者は急速に増え、200名に達したところで湘南中央病院の理事会に退職を要求される。
当時のS事務長が気の毒がって言うには、「三吉先生、先生の(保険)収入は年間300万円なんですよ。それではどうも(やっていけません)。」
S事務長は怒りん坊であったが、いい人であった。
湘南中央病院が発展する前は劇団をやっていた。その後、理事長の薦めにより藤沢市市議選に立候補するが、落選した。私の患者が言うには、「頭を下げないので投票しなかった」
巷の政治家のように選挙のたびに握手して回るのを潔しとしない人であった。
私のクリニック開設にあたっては影で色々応援してくれて、ノウハウも提供してくれた。私は感謝している。
藤沢市市議選に落選した後、湘南中央病院を辞め、その後妻と離婚し、アルコール依存症となり、自殺したとのことである。
ご冥福をお祈りしたい。
1986年 開業資金が全くないまま友人にカンパを要請し300万円集め、
神奈川県藤沢市に三吉クリニックを開設。現在に至る。
湘南中央病院の患者さんが「先生大変だろう」、といったん三吉クリニックに移り、経営が安定したとみてまた湘南中央病院に戻って行ったのが嬉しい出来事であった。
開業して27年目になった。
現在は週4日の三吉クリニックでの診療以外に、毎週1回湘南中央病院で心療内科精神科勤務。
毎月1回神奈川県立かながわ女性センターで精神科相談医。
私のクリニックで参加している研究会・活動体は
(1)三吉クリニック家族会 (月1回)
於 藤沢市労働会館
(2)開業外来精神医学研究会(月1回) 医師、スタッフの研究会
於 藤沢市医師会館
(3)さくら会(月1回) ヘルパーの研究会
於 三吉クリニック
(4)大カンファレンス(不定期) 当事者本人、家族、ヘルパー、行政、ボランティア等、本人に関わる全ての人が集まって討議
於 三吉クリニック
(本人が精神科病院に入院中の場合は、入院中の精神科病院の協力を得てその病院で大カンファレンスを行う。最近は、2013年1月に神奈川県三浦市の福井記念病院で大カンファレンスを開催した。)
上記(1)、(2)、(3)はどなたでも参加可能。
問い合わせは三吉クリニックの広瀬ケースワーカーまで。
所属学会および所属団体
藤沢市医師会精神科医会
日本精神神経学会
日本精神科診療所協会
日本EMDR学会
日本臨床催眠学会
精神科早期介入の問題を考える会
ふくしま再生の会
資格
精神保健指定医
ケーススタディ