ケーススタディ
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再発防止について
八甲田山山頂にて。
私のクリニックのデータより見てみよう。
この際、私の医療観を根本的に変えたある技術者の症例をあげよう。
この技術者は治療を終了し現在社会復帰している。特定できるものは全て省いたのは言うまでもない。
大学卒業後ある公的機関に働き献身的に働くこと数年、上司が変わり本人の評価も仕事への協力も突然無くなり28歳より悶々とすること2年、30歳にしてうつ病発症し病院三カ所転院して最後は某大学病院、病休2回目であと2ヶ月で自動退職という絶体絶命の状況であった。
ちなみに私のクリニックに転院してくる典型例の一つである。
大学病院では母子関係に問題ありとしていたが、発病前と発病後のこじれを混同して結果を原因と取り違えている。
私の見るところ家族に問題はなく会社にもその狭量な上司を除いては問題はなかった。
例のごとく当時保険で認められないジプレキサやモダフィニルも使用し、ケースワーカーも会社との打ち合わせに参加して慣らし出勤のあと無事期限ギリギリに復職したのである。
うつ病の復職の失敗の大きな原因に上司との打ち合わせを省略した性急な社会復帰にある。
ところがこの技術者の場合はこのまま順調とはいかなかった。
じわじわと確実に悪化していくのである。
いつの間にか沈没しそうになっていろいろ薬を変えて短期病休を繰り返して遂に復職後2年目にまた長期病休に入ってしまった。
私は薬物療法だけでは駄目だとヨガを薦めた。
断っておくが、私はここでヨガの宣伝をしようというのではなく、ヨガを勧めて、最後に本人が取り込み、役立ったケースがあったということである。
ヨガ以外でも、気功法や太極拳、自彊術などで自らを取り戻し心身を回復させた人を何人も見て来た。
この技術者は真剣にヨガに取り組み、一方私は1回90分の自費診察を数回にわたって提案し本人の協力を得て問題の本質をつかもうとした。
その結果と成果は驚くものであった。
なお、この技術者には認知の歪みは殆ど無く、したがって認知療法の適応外であった。
また、同じく対人関係の歪みも無く、対人関係療法の適応外であった。
父親に似て、すこぶる円満な問題点の見当たらない人柄であった。
一見、アルカイックスマイルが特徴の大人の風格であった。
ところが頭の中では常に暴風雨が吹きすさんでいたのである。
びっくりしたのは本人のたぐいなき記憶力とイメージ構成力であった。
例えば、観光案内がそのまま画像化されるのである。 おそらくブッダはこのような能力を持って苦しんだのであろう。正にアスペルガーである。
ただし、うつ病を発症した技術者は身体精神両面にわたって抑うつ抑制の症状がでて能力低下しているのみならず、失われた10年間に対する様々な解離性健忘を伴っていたのである。
この解離性健忘で、技術者は自殺を免れたとも言える。
それのみか、長年の閉じこみがちの生活とジプレキサ等の副作用発現で、肥満と胆石症、腰痛症を合併していた。
脅威的な記憶力とイメージ力が絶えず脳内でビデオ再生を繰り返しており、例えば、駅でホームレスとなって倒れている技術者の目の前を通勤中のサラリーマンの靴やハイヒールが知らん顔で通り過ぎて行く。。。といった、イメージ画像が音や臭いや体感や恐怖を伴ってエンドレスに自動再生を繰り返すのである。
ようやく必死の努力でこのビデオ再生をストップするのに成功して、いよいよ出勤の準備に取り掛かろうとすると、しびれを切らした母親が「朝食も取らないで何をしているのよ!
」と神経興奮状態で飛び込んできて、パニックの中でまた不吉なビデオ再生が始まってしまうのであった。
技術者にとっては、10年間はこのような日々で、どんなに沢山薬を飲んでも止まらないどころか、薬の副作用発現して、40歳にしてメタボになってきたのである。
ところが、ヨガに取り組む中で、自分の力でビデオ再生がストップできるようになり、 更には、解離性障害に特徴的な白昼夢に耽る傾向も良くないとストップして、現在に生きれるように自分の変革に成功したのである。
職場の状況は前にもまして苛酷になっていたが、復職にも成功して薬も全て中止し治療が終了したのは言うまでもない。
(1) この技術者は何故病気に飲み込まれたか?
自分自身が社会にそのままに受けいられ生かされるという過信があった。
ところが官僚的人間が上役として赴任してくると自分は組織にとって、単なる物としてしか扱われない。
まさにショーペンハウアーの言う無分別な意志の表象としての世界がそこに現出したのである。
幾多の信じられないパワハラの場面を反芻し当初打ち消すことができていが、いつしかエンドレスビデオ再生モードに入っていきコントロール不能となってうつ病を発症したのである。
技術者の持っている記憶力と画像化力が絶えずマイナス方向に作用したのである。
(2) どうして治らなかったのか?
西洋科学と医療に対する根深い幻想があった。
無理もない。手塚治虫の鉄腕アトムを見て育ってきた世代である。
戦前の日本人が大東亜共栄圏を信じたように、戦後の日本人は科学と人工衛星、原子力を信じてきたのである。
会社を信じてきたのである。
会社の意志の表象としての、自分を単なる労働力として扱う無分別な上司に対して距離が取れずに呑み込まれていったのである。
こうして、うつ病に追い込まれていく技術者をどうして責められようか。
(3) どうして治ったのか?
ヨガに出会って計算と打算の西洋科学ではない、現在に生きる自分自身に変えたからである。
計算・打算モード(doing mode)から現在に生きるモード(being mode)への変換がある。
この2つのモードについては、ジョン カバットジン著「マインドフルネスストレス低減法」 2007年 北大路書房の一読をお勧めする。
西洋科学思想に汚染された現代人には必須の解毒剤である。
なお、科学思想の持っている根本的な問題点については山本義隆著「福島の原発の事故をめぐって いくつか学び考えたこと」 2011年 みすず書房を読むと科学の迷妄が霧が晴れるようにみえてくる。
ここで、「カプラン臨床精神医学ハンドブックDSM-IV-TR診断基準による診療の手引 第3版」のデータを検討してみる。
この教科書にはうつ病は半年以内に75%再発すると書いてある。
西洋科学の方法だけではそうなるであろう。
しかし、西洋科学は部分的に取り入れている私の場合は違ってくる。
30%は自然治癒で、人間力や家族、社会財産に恵まれた人達で再発し難い。
10%は医療では治らない人達で、そもそも再発とは縁がない。
薬で治る人30%と薬以外の力を併せて治る人30%合わせて60%が全員再発し、更に自然治癒者の15%がこの教科書によると再発することになる。
あまりに成績が悪い。
私のクリニックでこの3年間治療終了した人達のデータを次に挙げる。
何故3年間なのか。
実は技術者に出会ったのは4年前66歳の時であり、当事は恥ずかしながら、横文字を読みまくり、アメリカかぶれであったのである。
アメリカからスカンジナビアまであらゆる精神科洋雑誌を買い込み読みまくっていた。
保険で認可される前に新しい薬は使いこなしていたのである。
薬物療法に関しては常に3年は日本のレベルより先進しており自信があった。
ところが、その技術者には歯が立たなかったのである。
若い精神科医に言いたい。
未熟で患者に害を及ぼしていると言われるのは辛いことであろう。
しかし、それは精神科医に担わされた近代の社会的事実なのである。
しかし、日本の苛酷な状況の中でも、精神科医を続けていると、私の年ー65歳を過ぎてから、本人のプラスになれてるなと実感できる喜びに出会える機会が確実に増える。
治療を終了した患者が確実に増えたのも65歳を過ぎてからであった。
良い指導医はいないという日本の不幸の中で、若い人には患者の力にはなりたい、真実を知りたいという真摯なものを感じている。
私はここで自分の未熟な実例を語ってみよう。
指導医に恵まれなくても勉強は自分ですればいい。
患者という最高の教師が我々にはいるのだ。
ただし、先達に学んで、出来るだけ被害は少なくしなければならない。
精神科の場合は取り返しのつかないことも起こりうるからである。
(参考文献)
「カプラン臨床精神医学ハンドブック DSM-IV-TR診断基準による診療の手引 第3版」
( ベンジャミン J サドック、バージニア A サドック 著、融道男、岩脇淳 監訳 2007年 メディカル サイエンス インターナショナル)
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