ケーススタディ
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杉本さんの思い出
ココア(手前)と友達(奥) 猫はお互いに距離とれる動物
東大裁判闘争弁護団団長 杉本昌純さんを送る会
(杉さんの思い出の会)文集より
私が杉本弁護士にお会いしたのは、1968年9月読売事件で本富士署に勾留中であった。
杉本さんと、高校の先輩、重国弁護士・秋本弁護士(故人)に弁護してもらった。みんなに応援してもらい楽しくやりがいの裁判であった。私はそれ以来、杉本さんと呼んでいた。
杉本さんの特質は、
① 心・感性が豊かで、まっすぐ目を見て話され、こころと心が共感できる人であった。気持ちが通じて、会うたび元気づけられる人であった。
② 法廷技術が卓越していて、いつも準備を万全にしていられることであった。この安心感は言うまでもない。
ボルシェビキの医者と言われ、左翼運動側の医師は、口は達者だが技術はカラキシ駄目というのが通例であった。
本当に困っている人には頼りないことは医者もその側の活動家も共通しているのは、今も変わらない。
但し運動の周辺にいい医師は必ずいた。
私の学生時代は幸せなことに世界中で学生運動の高揚期で、医学生の運動もインターン制度廃止運動に始まり 医学連・青医連の医局講座制(いわゆる白い巨塔)反対運動になって、好きな大学・好きな分野を自分たちで選ぶという自主研修運動が全国的に展開され、遂に文部省・厚生省、全国医学部当局と全面対決するに至った。
東大医学部では私を含め17人の大量退学・停学処分(1968年3月)が行われた。
これが引き金となって6月には全学に反対運動が全学に広がり、東大闘争となった。
私は、アルバイト以外は自治会室か屋上の青医連ルームか、クラス会かデモの日々で、講義にはさっぱり出なかった。
医師資格は、当時は勉強しないで取れるおおらかな時代で、私が勉強を始めたのは卒業してからであった。
大学で勉強していない分、医学は新鮮で面白かった。未だに面白さは尽きない。
① 心と感性を大切にする
② 自主研鑽を怠らない。常に実践の場で学ぶ、依頼者の立場に立つ。
杉本さんから教えて頂いたのはこのことであった。
何もできなかった私も医師となって50年が過ぎ、私も少しは人を助けることができるようになったと思う。これも医師になる前に接した杉本さんのイメージが原点にあるからだと思う。
医学部教授を師に持たない私にとって、尊敬できる先輩医師とともに、杉本さんは私とっての師であった。
困ったときには原点に返れ!
杉本さんの思い出と共に、私の原点は東大闘争-東大全学共闘会議であると思っている。
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